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米沢市窪田町在住の後藤理紀麿さんの父、英麿さんは、昭和20年4月10日、フィリピン・ルソン島で戦死した。同島では日米両軍が死闘を繰り広げ、戦後、米沢に進駐した米第11空挺師団もこのルソン島での戦いに参加している。
平成21年、後藤さんが仏壇を整理していると、昭和19年に山形東部五十九部隊に入営していた父からの手紙やメモ書き、戦死広報、生き残りの人たちや遺族による「もや部隊友の会」発足趣意書などが出てきた。その時、後藤さんは母親から嫁いでからの事や、入営の事、戦後の苦労した事を聞く事になる。昭和19年当時、1歳半だった後藤さんは父親の容姿の記憶がない。
本書は、後藤さんが今まで収集した戦記、手記、遺蔵書を元に、「集成歩兵第一大隊」もや部隊の足跡をまとめたもので、平成25年8月に刊行した。評者は令和7年に後藤さんから頂戴した。
内容は、前半は父英麿さんの入営からフィリッピンにおける部隊や戦死の状況などが記述されている。英麿さんは、昭和19年6月20日に第五十九部隊(現在の霞城公園)に入隊し、南方軍(司令部はマニラ)の補充要員として、9月9日大阪港から「まにら丸」に乗船した。台湾の高雄経由で南下し、10月13日にマニラに上陸した。マニラからは行軍に次ぐ行軍が行われ、翌昭和20年2月から米軍との戦闘が始まる。英麿さんは、昭和20年4月10日、マニラ東方30キロ平地での戦闘で戦死した。フィリッピンに上陸して半年後のことだった。
本書後半は、後藤さんがフィリッピンを巡礼した際の訪問記である。昭和52年3月に、「もや部隊友の会」第四次「三十三回忌比島巡拝」に初めて母親と参加した。父の部隊がいたマウバンに行き、父が見たであろうジャングルや川などの景色を眺めた。そしてあちこちに日本軍戦没者戦の慰霊碑を目にする。その後、何回か、一人旅で巡拝に訪れているうちに、父たちの足跡を巡りたいとの思いが強くなり、会の生存者に会っては話を聞いたりして本書をまとめた。
後藤さんは、その訪問を「父の供養というより、苦労して育ててくれた母(父でもある)の供養と思い慰霊巡拝に参加した」、「一児の親となって父を偲ぶようになり、足跡を辿りたくなり父の行動を調べた」と書いてある。後藤さんにとって、戦争はまだ終わっていないという気がする。戦没者遺族が高齢化し、米沢市が主催する戦没者追悼式への参加者も減少している。
評者の母親も満州からの引揚者であり、とても興味を持って読ませたもらった。
(評者 米沢日報デジタル/成澤礼夫)
著名 ルソン島編成 集成歩兵第一大隊
「私説」 父達の足跡を辿って
著者 後藤理紀麿
発行日 平成25年9月1日